まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

輪廻転生

死後の世界は、自分が死んでみないとわからない

本当に生まれ代わりがあるかどうなのかも…



私は、赤ちゃんの時の記憶が、少しだけある

祖父(母方)の家の居間の隣の部屋で、私がハイハイをしたら、

叔母達が拍手をして喜んでいた…とか、どうでもいいことだ


けれど私には、前世の記憶が全く無い

だから輪廻転生が、本当にあるかはわからない



6月半ば、クドカンが監督の映画“TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ"を、WOWOWで録画した

長瀬が地獄で鬼の格好して、バンドを組んでいる…

というくらいしか、内容は知らなかった

次男の事があったばかりだったし、タイトルを見た私は、ドキドキしながら観た


高校生の男の子が、修学旅行中のバスで事故にあう

自殺だと判定されて地獄に落ち、現世との行き来をする

転生は畜生だったり、人間とは限らない…というあらすじだった


次男のことが無ければ、バカ映画だな~と、笑いながら観たと思う

次男はどこへ行ったんだろう…やっぱ六道とか修行とかあるのかな?

考えながら、複雑な気持ちになった



今年の3月頃、“世にも奇妙な物語"の“来世不動産"が急に観たくなり、

YouTubeの動画を夫と探してつけてみると、ちょうどバイトから帰宅した次男が

「来世不動産でしょ、これ面白いよね~」と言った

主人公の男が亡くなってから、来世は何に生まれ変わるか検討する…という物語だ



生まれ変わったら、可愛がられている家猫がいいな、人間は嫌だな~

と、ずっと私は言い続けていた

でも今は、生まれ変わりたいとは思わない

元通り、家族皆で幸せに暮らしたい…

これが私の死後の世界の理想だ




年が明け平成11年になるとすぐに、前夫と離婚した

その年の夏祭りから帰って来たところ

ソースをこぼして、甚平が汚れた2歳の次男

私の母が子供の頃にしてた色褪せた浴衣の帯は、

私も長女も、3歳の次女も受継いだ

この頃は、2人とも泣いてばかりで大変だった

だんご3兄弟がとても流行っていた


家にスカパーを入れたら、子供達は大喜び

カートゥーンネットワークやアニマックスを、寝るまでつけてた


キティちゃんとポケモン毛布を2枚ずつ買ってあげたが、

まだ次女は、このキティちゃん毛布を大切に使っている



みんな一緒に生活を送りたい…

Xmas Eve

去年はチキンを焼いた

パスタ、シーザーサラダ、ピザ、パンプキンスープを作り、ケーキは買った


ツリーを飾っていた場所には、今は次男の仏壇が置いてある



どうしてこんな事になったんだろう…

去年までは考えたこともなかった



子供達が小さな頃、毎年サンタさんに手紙を書かせていた

それを見て、こっそりトイザらスに買物に行き、

プレゼントは車のトランクに隠しておいた

子供達が寝ついてから、枕元にプレゼントを置く

朝になると、子供達の喜ぶ声を聞くことができた


「なんで暖炉も煙突も無いのに、サンタさんは入ってこれるの?」

そんな事を聞いてくるのは、次男だけだった



楽しかったXmasに次男が欠けた

仏壇の花瓶の花を一時的にやめて、ポインセチアを置いた


もうチキンを焼くのはやめようか…と考えたが、

何でも無しにしてしまうのは、上の3人の子供達が可哀想だから、

やっぱり焼いた方がいいのか…

どうしたらいいのか悩んでしまう


いつもは早めに冷凍しておく鶏肉は、まだ買っていない

ケーキも予約していない

当たり前

平成24年5月21日の朝、ベランダで次男と並んで金環日食を見た

よその家からも「わああ」と声が聞こえてきて、

近所の人も見ているんだな…と思った


私は日食眼鏡を3つ買っておき、新聞奨学の寮に住んでいる長女が帰って来た時に、1つ持たせた

長女は「近所のおばさん達と、一緒に見たんだよ」と言っていた

次女は「地学部の友達と見るから」と、始発で高校へ行き、

長男は「興味が無い」と言って見なかった



小さな頃から、私はプラネタリウムが大好きで、よく子供達を連れて行った

自宅の近辺では、殆ど星は見えないから、長男を除く3人は自然と、プラネタリウムが好きになった

学童で行った秩父や、私の友達と行った房総半島でのキャンプ、

スキーやスノーボードで泊まった鬼怒川などで、本物の星空を見た


学童キャンプ

鮎を放流して捕まえる

この時、私はキャンプ係だったので、本当に忙しかった

子供達が具を切って作ったカレー

ボーイスカウトでやり慣れてたが、やっぱり飯盒炊爨は楽しい

トーチ棒を作って、キャンプファイヤーの準備をした

携帯が圏外になってしまうような村の山

今は秩父市になっている



今年のお盆、夫の実家へ行った時に、綺麗な星空や流星を久しぶりに見た

私と長女と次女は感動して、スマホに星座アプリを落とし、見比べていた

「子供の頃に、こんな空を毎日見ることが出来たなんて幸せ者だね」私が言うと、

「“当たり前"だったから、空を見上げるなんてこと無かったよ

こんなに綺麗だったんだな~」と、夫は答えた


そばにあるのが“当たり前"で見えなかった物も、離れればよく見える


病み上がりに「やっぱり健康っていいな~」と思っても、

日にちが経てば、健康な日常は“当たり前"だと思って忘れてしまう


次男と暮らしていたのは全然“当たり前"ではなく、

“色々な偶然が重なった幸せだった"ということに、感謝しなければいけなかった


「地球が生まれて46億年」とか、

「何万光年も離れてる星だから、何万年も前の星の光を今見てるんだよ」

とか、宇宙の話を聞くと、それに比べたら私の人生は、ちっぽけで短い…と思えてくる

過ぎてみれば、光陰矢の如しなんだろうが、

それでもこの悲しみは、私が生きている間、まだまだ続いていくんだろう