まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

産み分け

「うまく産み分けたよねー」

色々な人に何回も言われたが、私は別に産み分けをした訳ではない


「子供は女女男の順番で、3人欲しいな」と、よく言っていた

私は弟と仲が良くないから、姉か妹が欲しかった


私の通っていた病院は、性別を教えない方針だった

お腹の中の長女が9ヶ月になった時、院長が聞いた

「どっちがいいの?」

「絶対、女の子で…名前も決めてます」と答えると

「まあ、教えないけどね」と笑った

会計の時に、看護師が窓口に顔を出し、

「最近、顔が優しくなったわよね」

そう私に言ったので、女の子だな…と確信した


その当時、私が出産した病院の母親学級では、うつぶせ寝と布おむつを推奨していた

「でも必ず、うつぶせ寝用の布団を買って下さい、普通の布団では窒息死します」

布団屋に見に行くと、アイロン台の様に硬い、

西川のうつぶせ寝用布団は4万円もした


職人の卵だった前夫は、日給月給で日当が5千円だった

毎朝6時頃、親方が車で家に迎えに来ると、“プップッ"と警笛を鳴らす

そうすると弁当を持って出て行き、夜7時頃、親方が家まで送り届けてくれた

ずっと休み無しで働き、給料は毎月15万円貰っていた

家賃や生活費、検診代が掛かり、出産費用や電話の権利金も貯めなければいけなかった

猫と留守番の私は、朝から夜まで内職をしていた

内職代を貯めて、産着やうつぶせ寝布団は、ピンク色を買った

さらし1反から布おむつを7枚取れるので、10反買った

まだミシンを持っていなかった私は、70枚分、手縫いをした


長女を出産後、前夫が親方に日当の相談すると、

毎月10万円ほど給料を上げてくれた

その後、18歳になってから運転免許を取得すると、更に給料は増えた


長男を妊娠して9ヶ月になると、また院長は聞いた

「絶対、女の子で‼名前も決めてます」

「じゃあ、ショックを受けない様に教えといてあげる、

サービスだからね、これが玉だよ」

エコー画面を指さして、院長が言った


次女を妊娠した時には、既に男女居たので、性別はどちらでも良かった

院長にも「どっちでもいいんでしょ?」と言われた


次男の妊娠9ヶ月で聞かれた時には

「女の子がいいです、年子だから双子みたいに育てるんです

名前も決めてるんです」と答えると、

院長は「ふーん、ところで縛る?」と言った


結局、女→男→女→男の順番で4人兄弟になった

友達の家は、男4人が2組、女3人が3組、女2人など、偏りが多い

自分の思い通りには、いかなかったけれど、

2人ずつで丁度良かったな…と、私は思った

これ以上、子供が増えると生活が不可能になると思い、

次男を産んだ次の日に、卵管結紮の手術を受けた


長女を出産した日に同室になった人は、今の私と同じ年齢で4人目の出産をして、

1番上の子が中学2年生だった

「もう上に3人男の子がいるしね、堕ろそうと思ったのよ

だけど中絶手術の時に、やっぱり産みますって院長に言ったの

それで産まれたら念願の女の子じゃない、もう嬉しくって…

これ以上、子供はいらないから、明日、卵管を縛るのよ」


うちの母と叔母(母の妹)は、帝王切開だったから、2人産んだ後に卵管を縛った


「自然分娩でも縛れるんですか?」と聞くと、

「まあ、あなたも4人目が出来たら、院長に縛る?って聞かれるわよ」と言われた


その時には、まさか私が4人も子供を産むとは、思っていなかった




あけぼのこどもの森公園

この写真、私の大のお気に入りだ


所沢航空記念公園

たまに連れてったこの公園の中には、博物館があり、

水遊びが出来る場所もあったりする

よく家族5人でバドミントンを楽しんだ