まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

母の溺愛⑤

正月2日は、祖母(父方)の家に集まり、新宿のレストランに食事に行くのが、毎年恒例だった

結婚後の弟は、正月2日は熱が出て、新宿まで来れないのが、毎年恒例になっていた


母は弟を心配していた

「正月から熱って大丈夫かしら?」

「大丈夫だよ、仮病なんだから」私は言った


うちの子供達に、お年玉をあげない母を見て、

「お年玉あげないの?」と聞くと

「さっきあげたでしょ」と答えが返ってきた

最近おかしいかなと思っていたが、その時に確信した


「認知症が始まったんじゃないかと思うから、病院に連れていって」

父(養父)に言ったが、一向に連れて行かなかった


私は病院を調べ、連れて行こうと仕事を休んだが、

「呆けてなんかないよ」と、母はソファーにしがみついて動かない


弟が誘えば、病院に行くかもしれないな…と考えた私は、

弟の電話番号を知っている叔母(母の妹)に連絡をして、事情を話した


叔母は、すぐに弟に電話をしたが、

弟が連れて行ったのは、房総半島にある自分の顧客の病院だった

「流石、親子だね」私は思った


「使える物は親でも娘でも使え」と、よく母は言っていた

水商売を辞め、証券会社で働き始めた母は、高校生の私に、

毎月、公社債を買わせていた


保険会社で働き始めると、私や前夫に生命保険や個人年金、

子供達の学資保険と、沢山の保険を掛けさせた

弟から金を取る事は無かったが、私の家族からは、相当大きな額の保険料を搾り取った

後々、この件で義父母も巻込み揉めた


互助会で働き始めると、私を友人との取引に使った


母から散々お金を引き出した弟は、さほど母を心配して無かったと思う

でなければ通えない遠方の、しかも自分の顧客の病院なんかに連れて行かない

勿論、高かった会計も高速代も、母に払わせたそうだ

呆けても母は、間抜けな事を言っていた

「(弟)は優しい子だから、お母さんが心配だって、病院に連れて行ってくれたんだよ」


部屋の中で放尿する様になり、

「取った金を返せ」と、夜中に父が叩き起こされたり、

迷いびと放送を何回も掛けたりする様になると、

ようやく父は母を病院に連れて行った


「若年性アルツハイマーですね」

診断された時には、家での介護は難しくなり、

父は母に暴力をふるうようになっていた



子供の頃に住んでいた、このマンション1階の中華屋から、夕飯を取る事が多かった

その中華屋は、今現在も残っている

私と出会う前、夫が頻繁に食べに行っていたと言うから驚いた

そんな偶然が、あるんだなと思った