まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

反面教師

うちの子供達は4人共、反抗期が全く無かった

さほど私が口を出さなかったからかもしれない

夕方の放送で家に帰る事と、車と知らない人に気を付ける事は、何度もしつこく言ったが、

勉強や寝る時間、ゲームやTVの時間などは、本人任せにしていた


子供達が側に居てくれさえすれば、それで安心した

自分が親にうるさくされていたのが嫌だったから、

子供達には、ガミガミ言わないようにしよう…と思っていた


長女が小学2年生の3学期に入るとすぐ、私は前夫と離婚した

長男は幼稚園の年中、次女は3歳、次男は2歳だった

何も言わなくても、上の2人は色々と手伝ってくれ、下2人の面倒を見てくれた

うちの子供達は兄弟仲が、とても良い

私と弟は絶縁状態だし、一生会わないかもしれない程、仲が良くないので、

自分の子供ながら、正直羨ましかった



私の母は、本当にうるさかった

私は4歳から、スーパーへ買い物に行かされていた

ロボコンとロビンちゃんの絵が書かれている、プラスチックのマグカップを見つけて、

どうしても欲しくなった私は、頼まれた物と一緒に買ってしまった

家に帰ると母にズボンとパンツを脱がされ、

布団叩きで、お尻を何回も叩かれた

「こんな物を買ってきて…

頼んでない物を勝手に買うのは泥棒と同じだ、返して来い」

レシートを持って、泣きながら返品に行くと、レジのおばさんが

「毎日お使いして偉いのに可哀想にね、おばちゃんが買ってあげようか?」

と、言ってくれた

買って貰うと、また母に叩かれる…そう思って断った


三軒茶屋の家から若林の幼稚園までは、子供の足では遠い距離だったが、

母は私の送迎をしなかったので、1人で歩いて通園していた

幼稚園の帰りに家へ帰らず、友達の家に遊びに行った時には、お椀で頭を殴られた

「痛いよー」と、私が泣くと「嘘泣きすんな、大袈裟な」と、そっぽを向いた

頭がぱっくりと割れ、目の所まで流血しているのを見た母は、驚いて病院に連れて行った

「ごめんね、まさかこんなに血が出ると思わなかった

何か買ってあげるから許して」

「マクドナルド行って、帰りにリカちゃんのタンス買って」

私は、母にハンバーガーと玩具を買って貰って、機嫌が良くなった


小学1年生の時、高円寺から中野まで越境して電車通学してた友達が居た

「(私)ちゃんの家に寄って、お母さんに承諾を貰ってから、うちに連れてくね」

と、夕子ちゃんのお母さんは言った

「家に寄っても、うちのお母さんは寝ているよ」

と、私は答え、電話をして貰った

やはり母は、寝ていて出なかったので、

家に帰らずに、そのまま連れられて遊びに行った


夕子ちゃんのお母さんは優しかった

何度か母に電話をしたが、話し中で出なかったと言っていた

母は3時過ぎから客に営業電話を始め、5時半に美容室へ髪のセットに行く


おやつや、夜ごはんを食べさせてくれ、お風呂にも入れてくれた

夕方6時頃、夕子ちゃんのお母さんは、私を家まで送り届けてくれた

私は、母に会わないで欲しいと頼んだが、挨拶をしたいと言われた

「電話が繋がらず、(私)ちゃんをうちに連れてってしまいました、すみません」

「誘拐だーっ、警察に連絡してやるーっ!」

「こういう事は迷惑だから、金輪際うちの子には近づくなーっ!」

母が大きな声で怒鳴っていたのを見て、私は本当にショックを受けた

うちのお母さんは、なぜ他のお母さんと違うんだろう…


母はインベーダーにハマっていた

うちの向かいにある喫茶店で、1日中ゲームをしていた日もあった

そういう日は、その喫茶店で朝から3食共、塩パスタになる

ゲームウォッチやファミコンは、夢中になって遊んでいた

私の目覚ましが鳴ると、いつも朝に起きてることのない母が「おはよう」と言った

仕事から帰った後にゲームをやり続け、まだ寝ていないだけだった

私には「ゲームは30分までね」と言っていたのに、大人はずるいな…と思っていた


母は、学校の役員を絶対に引き受けなかったし、

学校の運動会や、避難訓練のお迎えにも来たことが無い

親子遠足も私は1人で、友達のお母さんが一緒に居てくれたりした


私は長女が産まれた時に、母とは真逆の子育てをしようと思った

「お姉ちゃんなんだから」

言われ続けて大嫌いだったこの台詞も、私は使わなかった


私は母と同じ様に離婚をして、子供達から父親を取り上げてしまったが、

それ以外は、全て真逆にしてきた


今、好き勝手に生きてきた母は、呆けて違う世界で生きている

母を反面教師にし、子育てをしてきた私は、次男を永遠に失った

世の中は、不公平だ

「呆けたもん勝ちだから~」

この間、叔父の葬儀で、親戚の叔母が言ってたが、本当にその通りだと思った




箱根旅行

この写真は次女のLINEの表紙になっている

遊覧船に乗った

「ミニオンみたいで可愛いね」

写真整理してた時に、長女と次女が言った

この日に、彫刻の森美術館で買ったピカソのカップは、今も使っている

ポンペイ

長女は新聞奨学生で大学へ行った

入学金から授業料まで新聞社が立替え、

最後まで勤めあげれば、奨学金は返済する必要が無い

学校の近くの販売店の寮に住込み、新聞配達をする

寮費は無料で月々の給料も出るが、睡眠は毎日2~3時間で、

勿論、遊ぶ暇は全く無いし、体力的にもキツい

だから学業と両立出来ずに、辞めてしまう人が多いと、奨学生説明会の時に聞いた


夜中の2時に販売店に行き、広告を入れたら朝刊を配り大学に行く

午後2時に販売店に行き、夕刊を配ってから、また大学に行く

毎日そのくり返しだ

集金も毎月あるし、営業もさせられていた

4年間、頑張った長女は、新聞社からのご褒美でカナダ旅行をした


卒業式の2ヶ月くらい前、少し早めに奨学生を終え、長女が家に帰ってきた

「4月から就職だから、なかなか遠い所へ行けなくなるね」

と話した私は、春休み中の長女と、2人で旅行する事にした


8泊10日のイタリアパックツアーを予約して何日かすると、

旅行代理店から家に電話があった

「ローマ法王が、急に辞任してしまったので、バチカンに行けなくなりました」


イタリアに向かう朝、成田では中国からの黄砂がひどく、

飛行機の中で4~5時間待たされた

ローマに着くと、添乗員がバスの中で話し始めた

「先程、コンクラーべで次のローマ法王が決まりました

皆さんは、凄く歴史的な日にローマに来ることが出来ました

法王が決まったので、明日は予定通り、バチカンへ入れます

昨日来た人達は行けなかったんですよ、良かったですね」

私達はツイてるな…と思った


次の朝、バチカンに行くと日本の報道陣を何人か見かけた

記念に新聞でも買おうかな…と思ったが、

イタリア語は読めないし無駄かな?と、買うのをやめた


この旅行は、なかなかの弾丸周遊ツアーで疲れた


真実の口に手を入れるというお約束のポーズで、

長女と2人の写真を撮って貰った

「ここに並ぶのは日本人ばかりなんですよ」と、添乗員が言っていた

そこら中、日本語ばかり聞こえてきて、おかしくて笑ってしまった


一応、SDカードは2枚持っていった

私は写真を撮りまくり、ポンペイを周り終えるとデジカメのSDを入れ替えた

私は、この最初のSDを落としてしまったらしく、長女にひどく責められ、かなり凹んだ

イタリアの前半の写真は、本当に少しだけ携帯で撮った物しか残っていない


バチカン

たしかこの窓の向こうがコンクラーベの部屋だと言っていた気がする


凱旋門とコロッセオ

コロッセオの中

昔、ここで闘いがあったのかと思うとドキドキした

私と次男はグラディエーターという映画が好きだった


コインを後ろ向きで投げた、トレビの泉

お願い事を言うのは忘れてしまったが、

ジェラートは買って食べた

スペイン広場でジェラートを食べるのは禁止になりました…

と添乗員が言っていたが、よく見ると食べてる人が居る


オレンジ屋根が可愛いアマルフィ


ピザ自販機なんて初めて見た


いちいち可愛い公衆電話


滞在時間がたったの3時間だった、ポンペイ

この遺跡が発掘されたばかりの頃、モーツァルトも観光したという

今まで写真や映像でしか知らなかった、舗装された道の轍なども、

自分の目で見る事が出来て、2人で感激しながら歩き回った

公衆浴場を見て「テルマエ・ロマエだー」と長女と話したりした

火山が噴火するまでは、ここで生活してたんだな…と思うと、本当にワクワクした

この性器は矢印で「風俗店はこちら」と、指している


カプリ島と青の洞窟に向かう船が、天候が悪くなった為に欠航となり、

残念ながら行けなくなった

ナポリは治安が悪い様なので、考古学博物館に行って時間を潰した


ピサの斜塔でも、つまんだり、支えたり、お約束の写真を撮った後、

その日のホテルがあるフィレンツェに向かった

「比較的治安がいいから、夜に出歩いても大丈夫ですよ」

と言われ、Google mapを見て、迷子になりながら散歩をした


フェラーリの会長が作ったという高速の電車に乗った

ホームは喫煙OKで、男女とも歩き煙草してた

トリノは、どこを観光したのか忘れてしまった


ベネチアで1泊

勿論このゴンドラにも乗った

「ウォーターセブンだねー」

散歩すると、テンションが上がった

ベニスの祭りは終わってたが、仮面を買うか迷い、高いので諦めた


ヴェローナでは、ジュリエッタの家に行った

「この像の右の胸に触ると結婚できます」と、添乗員が言うと、長女も私も触った


ミラノから飛行機で帰国すると、長女は「そのまま新潟のイベントに参加するから」

と言ったので成田で別れ、私は1人で自宅へ向かった

帰宅して、土産(ポンペイで買った本、なぜか日本語)を次男に渡すと

「いいなー、俺も行きたかったなー」と言った

最寄駅からの帰り道、桜が綺麗に咲いていたので、

「今からお花見に行こうか」と、

毎年、必ず行く公園に、次男と犬を連れて桜を見に行った


次男も小さな頃から、世界遺産の図鑑を眺めて、ポンペイに行きたがっていた

この時は、高校があったから行けなかった

「今度は次男くんも、ポンペイやカプリ島に一緒に行こうね」

と約束をしたが、結局、これも果たせなかった

冬の電飾

数年前から12月になると、よみうりランドのイルミネーションに行くのが、

うちの毎年の恒例のイベントの1つになっていた


去年の暮れは、彼の転職等で行けなかったが、

一昨年は、長女と次男、彼と私の4人で行った


朝からアトラクションを楽しんだり、アシカのショーを見たりしながら、

夜になるのを待ち、観覧車の上からも眺めた

アシカは可愛いので、毎回見てしまう



次男の携帯の写真を見ると、今年の正月に友達(?)数人で、浅草寺で参拝をして、

その後、よみうりランドのイルミネーションを見に行っている

飲めない筈なのに、笑顔でビールのジョッキを持っている次男は、

よそ行きの顔をしていて別人の様だった


中学や高校の仲間ではない

誰なんだろう?

年齢もバラバラだし、子供連れも居る…

「バイト先の知り合いに、互助会に誘われた」と言ってたから、

そのグループなのかな?と、なんとなく思った


グループLINEに既読を付けたくなかったので、機内モードにして覗いてみた

数人が次男に話しかけていたが、次男は2月以降、返事をしていなかった


2月頃「ネズミ講だったから、付き合いで入ったけど退会するよ」と、言っていた

そういう手続きが苦手だった次男は、

面倒になってしまい、退会手続きをしなかったんだろうな…と思った



次男が小学生の時、よみうりランドでヒュー・ストンに乗った

どこの遊園地にもある垂直に落下する絶叫マシンだ

次男は、この落下が大好きだった


次の日、レゴを夢中で組み立てていた次男に、

何を作ってるのか尋ねると、ヒュー・ストンだと答えた

恐竜のレゴには、電池で動かせる部品があり、それを使って作っていた

人が乗る長い椅子がゆっくりと上がっていき、

スイッチを止めると落下した

それを見た時に、本当に驚いた

全体の形もそっくりだった

「次男くん、すごーい」

私が言うと、次男は嬉しそうに笑った



うちの家族は絶叫系が好きなので、子供達が小さな頃は、

色々な遊園地に連れて行った

富士急ハイランド、那須ハイランドパーク、としまえん、西武園、

東武動物公園、小山ゆうえんち、東京サマーランド、むさしの村…


ナガシマスパーランドは、私が離婚した年からずっと

「今度行こうね」と、子供達に言い続けていたのに、連れて行けなかったが、

この間、長男が彼女と行ってきたと言っていた



次女が年中さん、次男が年少さん、西武園


もうなくなってしまった横浜ドリームランド

次女は私の隣に乗っているので、写っていない


普通に手を繋ぐと、飛び出して居なくなるので、

いつも次男の腕をしっかり掴んで、逃げられない様に気を付けた

次男がすぐ行方不明になるので、母にも付いてきて貰った

ディズニーは迷子放送をしてくれないので、この日は助かった