まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

6回目の命日

戸籍謄本の死亡の日は、推定4月29日となっている


次男に会えなくなってから半年、

本当にあっという間に過ぎた


思えば小さな頃から、すぐに私の前から居なくなってしまう子で、

初めての事件は、次男が3歳4ヶ月になった春だった


幼稚園は入園してまだ数日しか経ってないので、延長保育を頼めなかった

ある日、当時の彼氏に子供達を頼み、仕事に行った私は、会社で幼稚園からの連絡を受けた


「〇〇警察署から連絡があり、次男くんを幼稚園まで連れてきましたので、お迎えに来て下さい」


当時の彼氏が昼寝をしてしまい、次男は「暇だから遊びに行こう」と1人で外出し、迷子になったらしい


知らない人に、パチンコ屋を数件連れ回された後に置き去りにされ、

警察署に連絡がいった


「〇〇組の次男くん」としか名前が言えず、

警察署が色々な幼稚園に電話して、

ようやく次男の幼稚園を見つけたと言っていた


驚いたバスの運転手さんが、警察署まで迎えに行ってくれたのだ


次男は小学生になってからも、この幼稚園バスの運転手さんや数人のパパ友に、

何回も釣りに連れて行って貰ったりしていた


このカレンダーは、去年の暮れに次男が買ってくれた物だ

「可愛いな」私が言うと、

次男は「買えばいいじゃん」と言った


「もう来年のカレンダー買っちゃったし」と独り言を言っていたら、

次男が買ってきてくれた


あと2回、月をめくると、このカレンダーが終わってしまう


めくったカレンダーを、私は全部取ってある

次男が逝ってしまったからではなく、

1月から、なんとなく捨てられなかったのだ

最後の場所

お骨になった次男を宿に連れて帰った後、

また警察署に向かった

次男の最後の場所を、案内してくれる事になってたからだ


警察のワゴン車に乗ると、

刑事は「ここから近いですから」と、また言った


車で片道40分くらいだったと思う

私は後ろの席の窓から、花びらが散っていく桜を眺めていた



何故、次男は逝ってしまったのだろう…


検案書には29日頃(推定)と書かれていたが、

たぶん前日の夜21時過ぎだと思っている


あの日あの時間は、猫たちの様子も変だったし、

私達も、おかしかった


次男が最後にネットで「おやすみ」と書き込んだのは、

28日の20:50過ぎだった


その日の次男は、14時頃から、ネット上で何回も独り言を呟いていた

きっと寂しかったんだ…


「辛い…」

そうあったが、何が辛いのか特に書かれていない


28日の昼前に、近所の薬局でドリエル等を買い、

一旦、家に戻り、迷っていたのではないか…

そして14時過ぎに決心をし、それから山に向かったのではないか…


本当のところは、次男に聞いてみないとわからない


私が逝く時に、次男がお迎えに来たら、聞いてみよう…

などと考えている間に、車は山道を進み、そこに着いた



こんな所にテントを張って…

街灯が無い真っ暗な夜に、ヘッドライトの灯りだけで、

一体どんな気持ちで山道を歩いて登ったんだろう

少しも家族の事を考えずに、逝ってしまったのか

ご飯も前日に秋葉原で食べた物が最後だったんだろう


同室のお兄ちゃんが、このところ風邪で暫く体調不良だったから、

次男の体調も優れなかったんじゃないのか…


麓から1時間ほど登った、この場所にしたのは、

次男の妥協ではないかな…と、なんとなく思った

荼毘に付す

次男の遺品を指差し、

「こちらの荷物は、どうされますか?」刑事が聞く

「見たくないから全部捨てて下さい」彼氏がそう答え、

驚いた私は「だめーっ」と大きな声を出した


勿論、バルーンタイムや、ビニール袋、チューブなんかは見たくない


でも、リュックもテントも寝袋も、ヘッドライトや

トレッキングポールだって、

全部、次男が大切にしていた登山アイテムだった


きちんと持って帰ってあげないと、次男が可哀想だ

いらない物だけを残し、後は私の車に積んだ


「ドリエルは成分を調べたいので、預からせて下さい」と刑事に言われ、

私は「それは返さずに捨ててしまって下さい」と伝えた


次男は死装束を着せられている

本当に寝ている様にしか見えない


家族5人で次男を霊柩車に運び、彼氏はその車に同乗した

次男を乗せた車を追い、私は運転した


前日まで、あんなに寒かったのに、

嘘のように暑くなり、空は雲がひとつも無かった


「斎場は、ここから近いですから」葬儀屋はそう言ったが、

山を何個か超えて行く斎場は、やはり遠かった


葬儀屋に無宗教だと伝えると、お経は「南無妙法蓮華経」になった


私の親戚は日蓮の寺なので、子供の頃からこのお経を何度も聞いてきた


派遣なのか、このお坊さんはカンペを見ながらお経をあげる

下手だ、これは酷い…と思いながら聞き、

初七日も続けて行った


「お別れをして下さい」


次男の髪を撫でる


ほんの3週間くらい前に、

「床屋に行けなかったから髪を切って~」

と頼まれ、私が切った


頬を撫でる


こんな風に逝かせてしまう為に、育てた訳じゃないのにな…


最後に「ままが行くまで、まだ少し待っててね」と話しかけ、

次男は、お骨になった



大阪に行った時に、食べていたトルコ風アイス

お約束の渡され方をして、次男は喜んでいた


次男と長女

この時はネオン管のグリコの看板だった


長女が出張で行った時に撮ってきた

LEDになっていたらしい

私はネオン管の方が好きだし、

次男と行った場所が、無くなったり変わったりするのは寂しい