当たり前
平成24年5月21日の朝、ベランダで次男と並んで金環日食を見た
よその家からも「わああ」と声が聞こえてきて、
近所の人も見ているんだな…と思った
私は日食眼鏡を3つ買っておき、新聞奨学の寮に住んでいる長女が帰って来た時に、1つ持たせた
長女は「近所のおばさん達と、一緒に見たんだよ」と言っていた
次女は「地学部の友達と見るから」と、始発で高校へ行き、
長男は「興味が無い」と言って見なかった
小さな頃から、私はプラネタリウムが大好きで、よく子供達を連れて行った
自宅の近辺では、殆ど星は見えないから、長男を除く3人は自然と、プラネタリウムが好きになった
学童で行った秩父や、私の友達と行った房総半島でのキャンプ、
スキーやスノーボードで泊まった鬼怒川などで、本物の星空を見た
学童キャンプ
鮎を放流して捕まえる
この時、私はキャンプ係だったので、本当に忙しかった
子供達が具を切って作ったカレー
ボーイスカウトでやり慣れてたが、やっぱり飯盒炊爨は楽しい
トーチ棒を作って、キャンプファイヤーの準備をした
携帯が圏外になってしまうような村の山
今は秩父市になっている
今年のお盆、夫の実家へ行った時に、綺麗な星空や流星を久しぶりに見た
私と長女と次女は感動して、スマホに星座アプリを落とし、見比べていた
「子供の頃に、こんな空を毎日見ることが出来たなんて幸せ者だね」私が言うと、
「“当たり前"だったから、空を見上げるなんてこと無かったよ
こんなに綺麗だったんだな~」と、夫は答えた
そばにあるのが“当たり前"で見えなかった物も、離れればよく見える
病み上がりに「やっぱり健康っていいな~」と思っても、
日にちが経てば、健康な日常は“当たり前"だと思って忘れてしまう
次男と暮らしていたのは全然“当たり前"ではなく、
“色々な偶然が重なった幸せだった"ということに、感謝しなければいけなかった
「地球が生まれて46億年」とか、
「何万光年も離れてる星だから、何万年も前の星の光を今見てるんだよ」
とか、宇宙の話を聞くと、それに比べたら私の人生は、ちっぽけで短い…と思えてくる
過ぎてみれば、光陰矢の如しなんだろうが、
それでもこの悲しみは、私が生きている間、まだまだ続いていくんだろう
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