まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

色々な手続

5月中頃、国民健康保険証と年金手帳を返還した

本当に居なくなってしまったんだな…

役所は、私に再認識をさせる

次男の名前の書かれた物が、減っていくのが寂しかった



次男は、バイト先の知り合いに誘われた、互助会の様なものに入会していた

ネットで調べると、何かと問題がありそうなネズミ講だった

2月頃「付き合いで入ったけど退会するよ」と、言っていたのだが、そのままになっていた

彼氏が、退会の連絡を入れると

「本人でないなら、死体検案書を提出しない限り退会できません」と言われ

「そんな物出せるか」と、彼氏が怒ると

「だったら戸籍謄本でいいですよ」と言われたそうだ


今になると、何故、死亡診断書じゃなく、死体検案書と言ってきたんだろう…と思うが、

その時は疑問に思わず、私は戸籍謄本を取りに行った


うちは、私と子供達の苗字が違う

離婚したら私だけ旧姓に戻ったが、離婚後すぐなら家裁の手続で、

前夫姓に戻す事が出来ると役所で聞いた


中学3年で14歳だった私は、母の再婚で強制的に養子縁組を組まれ、姓が変わった

その後に結婚したので、旧姓期間は短く、愛着も無かった


私が離婚した時、長女は小学生だった

途中で姓が変わるのは可哀想だと思い、私の姓を前夫の姓にしようと思った


しかし、母は猛反対をした

離婚したばかりで大変だった私に、

お金と手は出さないが、しっかりと口だけは出してきた

毎晩、遅い時間の電話攻撃に私は疲れ、家裁は期限切れとなり、

親子の姓はバラバラとなった

その為、子供達の親権は私だが、子供達は前夫の戸籍のままだ


謄本は前夫の名前から始まる

まだ再婚せず1人の様だ

最後の次男の欄には“除籍"“死亡"と書かれていて、なんとも言えない気持ちになる

もし前夫がこれを見たら驚くだろうな…と思った


謄本のコピーを取り、互助会に送ると退会が認められた


次男の郵便局の口座には、80万円あった

普通免許を取得したり、大学に行く為に貯めていたんだろう


一生懸命、働いて貯金したのに何やってんの?

葬式代を貯めてた訳じゃないでしょう?

本当に次男くんは、お馬鹿だね…




兎を抱っこする次男の前歯が抜けている

生えてきた永久歯も見える


長男の友達家族と一緒に行った東武動物公園



出来ることなら、人生を巻き戻して、

次男をこの世界に連れ戻したい

七五三

今日は次女の誕生日だ


15年前の今日、次女は7歳になった

年子の次男は、もうすぐ6歳だった


2年連続で七五三をするのが面倒だった私は、前年に次男の写真を撮らず、

この日を狙って写真を撮ることにした


無理に袴に着替えさせられて、むすっとしている次男を、

スタッフは笑わせようと必死だった


「ミッキーとも写真撮ろうよ」私が言っても、

「やだっ」とご機嫌ななめだった

次女は喜んでミッキーと撮っていた


千歳飴を渡されると「写真撮ったら食べていいの?」と、

ようやく自然な笑顔になる




この時は、次に袴を着るのは成人式で、その次は結婚式だな…と思っていたが、

20歳になった次男は

「成人式には行きたくない」と言った


長男は

「母ちゃんの為に、写真だけでも撮らせてやれよ」

と、次男に言ってくれたが、結局撮りそびれてしまった


次男は、去年の夏に退職した事を“恥ずかしい"と考えていたから、

成人式に出席したくないのだな…と私は思った


幼稚園から仲良しだった友達のD君が、

お線香をあげに来てくれた時に、

「成人式で、次男くんを探しても見つけられなかったんだけど、来てた?」と私に聞いた

「ううん、行かなかったんだ

就職した会社を辞めたから行き辛かったのかな」

「えー、僕ももう転職したのに」とD君は言った


「Dが仕事を辞めた事、聞かせたかったな

そうしたら俺だけじゃないって思って、

こんな事にならなかったかもしれない」

長男は言った


次男は逝ってしまう何日か前に、

「久しぶりにDと会いたいな」と言っていた

「D君ママに皆で会おうって連絡しとくよ」私は答えた


D君ママは、幼稚園からのママ友グループの中の1人だ

次男が年中に進級する時に、D君は入園して来て、

その時からの、つきあいだ


年子の子供が2人いて、D君が年長の時に離婚をした

ママ友グループでは、うちとD君の家だけが母子家庭だった

D君と次男の生まれ月、

D君の姉と次女の生まれ月も同じなので、

幼稚園の月毎お誕生会でも、いつも一緒になった


2件とも母子家庭だからか、小中学校の先生は

「家も近いし、同じクラスにしておきますね」と言い、

幼稚園からトータルで11年間、同じクラスになった

次女とD君の姉も、ずっと同じクラスだった

小学校では学童も一緒だった


次男達は高校で離れるまで、ずっと行動を共にしていた

私達家族はペットの犬も含めて、

D君ママやお爺ちゃん、お婆ちゃんにまで、

色々と世話になりっぱなしだった

水飲み鳥

次男は中学を卒業するまで、全くゲームで遊ばなかった

小学生の時には、学童でやる手作り駒回し大会や、

ボーイスカウトで作った凧を揚げるなど、昔の遊びを楽しんでいた

お手玉やあやとり、折紙なども好きで、

地域のお年寄りと遊んだりして、可愛がられていた


お年始で父方の祖母の家に挨拶に行っても、

上の3人が携帯をいじったり、ゲームをしたりしている中、

次男だけは、曾祖母と2人で折紙をしていた



次男が中学生の時、私は特養で働いていた

Cさんという利用者さんは、うちの子供達の話を聞くのが、とても好きだった

「今度、次女ちゃんのピアノを聴きたいわ」

「次女ちゃんのトランペット、次男くんのチューバもいいわね」

目を細めながら言っていた

Cさんは、次男と文通をしていて、内容は聞いてないが、

「次男くんとの文通が、今の私の生きがいなのよ」と、言ってくれていた


次男は「僕ね、お年寄りとお話するのが好きなんだ

楽しいし、色々とためになるんだよ」

いつも言っていた



私は、うちの子達はゲーム好きなのに、

次男だけ昔の遊びが好きなんて変わってるな…と思っていた

でも、私と好きな物が似ている所もあったりする


小さな頃から、博物館やプラネタリウムが好きだった私は、

恐竜博をやれば上野の博物館に、

五島プラネタリウムも、よく母親に連れて行って貰った

そして毎月、学校の隣におじさんが売りに来ると買っていた、

学研の“科学"と“学習"の付録を楽しみにしていた

トイザらスで学研を見かけた時に、

「ままが、子供の時に読んでた本なんだよ」と教えると、

「僕も読みたいな」と言うので、

小学校1年生から、“科学"を買ってあげる様になった


私は子供の頃、祖母の家にあった水飲み鳥が大好きで、よく揺らしていた

次男は勿論、そんな事を知らない

「水飲み鳥が欲しい」

どこで見たのか、小学生の時、次男は言った

昭和の頃には、その辺で売ってた気がするが、最近見かけない

何軒か雑貨屋で探してみたが見つけられず、

買ってあげられなかった


次男は高校生になると、思い出したかの様に、

「水飲み鳥が欲しいんだよね」と、言った

「小樽に行ったら、ガラス屋に置いてあるんじゃない?」

「見つけたよ」

次男は、修学旅行先の小樽で買ってきた

「やんちゃな白黒猫が割ったら嫌だから預かっててよ」

と私によこし、自分の部屋には持ち帰らなかった

今、この水飲み鳥は仏壇に飾っている


大切にしていた桃豚ちゃんと白豚ちゃんとベイブ

長女が毛糸で作ったピカチュウに、

お気に入りだったLEGOのカップ


次男はシナモロールが好きだったので、このLOOKを置いておいたら、

この間、甘いおやつが大好きな彼氏が食べて、

箱を丸めて捨ててしまった


私は彼氏に、かなり文句を言った

通販でシナモロールLOOKを探して買い、また仏壇に置いた