まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

私の悩み①

はっきり言って、父(養父)は金遣いが荒い

金銭的に困窮しているのなら、それなりの生活を送ればいいのに、

あまり考えていないのか、それとも昔の感覚のままなのか、

生活レベルを落とすのが難しい様だった


「20万円貸してくれ」

3年前、父から電話で頼まれた

「ウォシュレットが壊れたから買い換えたのと、車検代で足りない分だから

年金が入る度に5万円ずつ返す」

「次女の成人式の着物代から貸してあげるから、必ず返してよ」

そう言って、仕方なく振り込んだ


私は、母にも10万円以上貸している

何度も返してと頼んだが、返してもらう前に、母は呆けてしまった


5年前、家賃10万円の家を借りていた私に、父が言った

「その家賃を俺に入れて、うちに住めば、

ここの毎月のローンが楽になるから、引っ越してこい

2階の2部屋やるぞ」

「次男の高校どうすんの?」

「転校すればいいじゃないか」

「こっちの大学を受けたいんだけど」

「そんなもん、こっちで受けろ」


私が16歳の時、母と一緒になって嫌がらせをし、家を追い出したくせに、

今更、勝手な事ばっかりよく言えるな…と思った

色々された私は、しっかりと覚えているが、

父は自分達がした事を覚えてないのか、

それとも頼るのが私しか居ないからなのか、

私と子供達との同居を希望していた


私は自分が親の都合で、何回も転校をしているので、

それは絶対に避けたかった

次男が高校に通っている間は、実家に帰る事は無いから…と父に伝えた


でももし、私が歳を取り働けなくなった時に、住む場所が無くなるのは困るから、

どうしようかな…と悩んでいると、子供達は4人共、反対した

「いつも、ままを利用してる」

「あの家は不便な場所にあるし、自分達も金金言われるの嫌だからね」

「あそこに引っ越すなら家を出るよ」


父から片付けを頼まれ、実家に行った私は、工務店の見積書を見て驚いた

「何これ?」父に聞くと、

「お前達がここに帰ってきた時に、

リフォームされてた方がいいかと思って…」と言った

「この額、現金で払えるの?」

「いや、ローンだけど」

父と話していたら、頭痛がしてきた





転校する前の中学の林間学校

私の右隣2人は、20代後半から行方が分からなくなった

男の子は、Facebookで繋がっているが、

次男の事があったから、飲み会にはもう行く気がしない


林間の写真で私の左側の子は、転校してからも、

よく一緒に色々なliveを観に行っていた

私の門限を6時に設定した父は、それも面白くなかった様で、

私の部屋のポスターを破いたり、レコードやCDを割って置いておいたり、

あらゆる嫌がらせを、私にだけでなく、友達にまでしていた

21歳

次男の21回目の誕生日である今日は、いつも通り、ケーキと蝋燭を準備する


12月は、誕生日とサンタさんからのプレゼントで、

大きなLEGOを2個も貰えるから、次男がご機嫌な月だった


この写真から10年目の誕生日を、

次男と迎えられないなんて、考えた事もなかった


洋品店をしていた、私の祖父(母方)は

「孫には全員、俺が鞄をやる」

そう言って、私もランドセルと中学の通学鞄を貰った


母も祖父の真似をして、うちの子供達全員に、ランドセルをくれた


私も孫が出来たら…と思っていた

「子供達が4人ずつ子供を作ったら16人だから、

ランドセル送るのも大変だ~」

そう言っていたのに、次男は居なくなってしまった


お線香をあげてから、次男が中学卒業の時にくれた手紙を読む


母さんへ

この年まで育ててくれて、本当にありがとうございます

勉強をあんまりしないで、本当にごめんなさい

テストの時に良い点取れなくて、本当にごめんなさい

心配ばかりかけて、本当にごめんなさい

迷惑ばかりかけて、本当にごめんなさい

どうしようもない人間だけど、これから頑張るので、

引き続きよろしくお願いします



次男は“ごめんなさい"ばかり言っている

確かに勉強は、あまりしなかったけれど、

私は「宿題やったの?」程度で「勉強しなさい」とは言わなかった

“心配ばかり~迷惑ばかり~"というのは、

小さな頃、すぐ居なくなって探すのが大変だった事かな?

“どうしようもない人間"なんかじゃない

私の自慢の子供だった

“引き続きよろしく"

そう言ってるのに、嘘ばっか…

何故、何も言わずに逝ってしまったんだろう


納屋を片付けていた時、思い出箱に見つけた小さな子供の手紙には、

名前が書かれていなかった

“ぼく"と言っているから、長男か次男からの手紙だ


おかあさんへ

おかあさん赤ちゃんのころからありがとう

うんでくれてありがとう

今ぼくは字もかけるようになったし

けいさんもできるようになったよ

たくさんでき(?)できるようになりました

おかあさんがそだててくれたおかげです

おかあさんほんとにありがとう


“ありがとう"ばかり言っている文面から、

これは次男かな?と思ったが、


長女も“ありがとう"ばかり言っているから

子供の手紙って、こんな物なのかな?と思った

母の溺愛⑥

「お母さんを殴ったら、痣が出来たから」

父(養父)が私にわざわざ報告したのは、何日か後に、

祖父(父方)の17回忌があったからだろう

痣を見れば私にバレる…と考えたからじゃないかと思った


母の担当をしている社会福祉士から、

「お母様の顔に痣があるんです、お父様から暴力を受けている様なんです」

と、連絡があった

「父から聞いています」

「お父様も交えて話し合いをしたいので、こちらに来て下さい」


「特養を申し込み、入所出来るまでは、ショートステイを繰り返していくと、

お父様も楽になるかと思うのですが…」

と、社会福祉士はアドバイスをしてくれた


父が、それを拒んでいたのは、家のローンを2人の年金で払っていたからだった

母を特養に入れれば、入所代を取られ、ローンが払えなくなる

だから母を手元に置いていた


私の仕事中に、電話をしてきた父は、

「明日から入院する事になったから、お母さんの面倒をそっちで見てくれ」と、言った

「いきなり無理だよ、私も仕事があるんだし」と答えると、

「明日、入院しないと、俺は死ぬんだよ」とキレた


結局、母をショートステイに頼み、父は入院した

母は「家に帰る」と、脱走して柵をよじ登り、落下して複雑骨折をした


私は、父の病院と母の病院、両親が飼っている犬猫の世話や、

入院中の洗濯をする為に、片道2時間半の実家まで通った

父は透析になり、母は退院後、特養に入所する事になった


金銭的に困った父は、弟に連絡をしたが、

「金の事なら(私)に言え」と突っぱねられたそうだ



熱海の後楽園ホテル

母は、熱海が好きだった

大体ここか、ニューフジヤホテル、金城館に泊まっていたが、

私は、遊園地がある後楽園ホテルが1番嬉しかった