まだ少し待っててね

20歳の次男が2017年4月に自死しました

母の溺愛②

弟が大学2年生になる頃、実家の家計は火の車になっていた


まあまあ高給取りだった父は、窓際にされ、給料が減った

月々の家のローンが30万円、新幹線の定期代の赤字は8万円、

弟の学費と、仕送りの15万円


まだ5年しか住んでいない家を、売りに出す事にした

「だから最初から、いずれこうなるよって言ったのに…」私が言うと

「うるさいっ」母は、こうなった事にも、

なかなか家が売れない事にも苛立っていた


オープンハウスを続けて、やっと買主が現れたが、

建てた金額よりも、2500万円ほど安い売値に決まった

リビングは30畳近くあり、風呂はジェットバス、

3階は防音カラオケルームになっていた



「もし結婚して同居するなら戸建を買うし、

同居しないのならマンション買うんだけど、どうする?」

母が大学生の弟に聞くと「同居するから戸建にして」と言われたという

「同居するって言われたから戸建にする」

「大学生に、そんな先の事を聞いても無意味だよ」

私はそう言ったが、母は聞かずに弟の台詞を真に受けて、

売却した家の残債を返し、少額の残金を頭金に、建売の戸建を購入した


新居に引越してからすぐに、リストラをされた父は働かなくなり、

母の愚痴は、更に増えていった


弟は大学を卒業をすると、医療機器販売の会社に勤めた

「元々、教師になりたいからと、浪人してまで入った大学だったのに、

なんで教師にならなかったの?」と、私は突っ込みたくなった


ボーナスが年に3回あり、月々の給料もかなり良い会社で、

両親は「これからは家計が助かる」と考えていた様だったが、

弟は30歳を過ぎても実家暮らし、脛をかじるだけで、

家に生活費を入れる事なんて、一切無かった




懐かしい祖父の家の居間、

いつも来客が居て、お茶を飲んでいた

祖父が亡くなった後も、来客が祖母を訪ねてくれたお陰で、

寂しさが半減したのではないかと思う


祖父は昔から、新しもの好きだったのでTVの購入も早かったらしい

「町で2台しか無かったんだぞ」と、自慢していた

母が学校から帰ると、この居間には沢山の人がTVを観に来ていたと言っていた

母の溺愛①

私が長女を出産した時、弟は中学3年生だった


私の高校受験は、公立1本で「落ちたら働けば?」と、母に言われていた

弟は「私立を単願で受験させる」と聞いた

(元)私の部屋にはエアコンが設置され、弟の勉強部屋になっていた


両親は、バブルで高値になったマンションを売り、

祖母(母方)の家の近くに、3階建ての家を高値で建てると言った

私は最初から反対をした

父の会社から遠い田舎に家を建てても、

いずれ色々と行き詰まるだろうという事くらい、

子供の私にもわかる話だった


家を建てている間は、祖父が亡くなってから、

一人暮らしをしていた祖母の家に仮住まいしていた

父は新幹線通勤をする事になったが、

会社から支給される交通費を大きく上回る定期代は、

毎月8万円の赤字になった

弟は、引っ越し先の高校に単願で入学した


長女が1歳の時に新居が出来た

「暖炉が夢だったから作った」と、母は言っていた

薪があって燃えてる様に見えても、実はなんちゃって暖炉(ガスストーブ)



母は、弟が小さな頃から溺愛していた

弟が大学受験の時には、本命の私大の他に、滑り止めを4つ受けさせた

遠方の受験先には、母親同伴の泊まりで行った

結局、本命に受からずに、弟は我儘を言った

「滑り止めには行かない、浪人するから」



翌年、弟は本命の大学に合格し、母は大喜びで

「入学祝いあげてよ」と私に言った

私は次女を妊娠したばかりで、金銭的に余裕が無かった

「3万円でいい?」と母に聞くと

「ケチだね、たった1人の弟なんだから最低でも5万円は包みなよ」

と言われ、仕方なく5万円包んだが、弟に礼を言われる事は無かった


「(弟)まで新幹線で通学をさせる余裕が無いから」と、

祖母(父方)の家に下宿させた筈だったのに、

母は毎月、弟に15万円の仕送りをさせられていた

「これだけしか貰えない自分は苦学生だ」

弟は、いつも愚痴っていた

家賃も食費も掛からないのに、何に使っていたのかは不明だ


「バイトくらいする様に、お母さんに言わせなよ」

と、祖母(父方)が私に言うので、そのまま母に伝えると

「あの子はフェンシングやボクシングで忙しいんだから、バイトは無理だから」

と、突っぱねた


私は高校生の時、毎日夕方5時から10時まで、本屋でアルバイトをしていた

私には、学校までの定期代も昼食代も、私のバイト代から賄わせてたのに、

エラい大違いだな…と笑うしかなかった





母と弟と私、祖父の店の前で


祖父の家は、私の曽祖父の祖父が江戸時代末期か、

明治に入った頃に建てた


関東大震災と、津波も2度あっている

大好きな大黒柱があったこの家は、祖母が亡くなった1年後に取り壊し、

今は知らない人が家を建てて住んでいる

7回目の命日

母は、はっきりと「(私)よりも、自分の幸せとお父さんが大切だから」と言った


新しい父親と、うまくいかなかった私は、高校2年生(16歳)の時に

「出ていけ」と着ていた服1枚で、家を追い出された

親が留守になる正月を待ち、自分の洋服などを取りに行こうとすると、

既に鍵交換されていて、家に入る事が出来なかった

私は驚いたが、友達は「(私)ちゃんの親だから、そういう事するよ」と誰も驚かなかった


家を出される直前の私、友達の家で



うちと似た家庭環境の友達が、同じクラスに居た

「新しい父親とは住みたくない、苗字も変えたくない」

だから、その子は高校に入学後、一人暮らしをさせて貰っていた

その友達のお母さんや、中学の友達の両親からも、

「うちから学校に通いなさい」と言われ、周りに同情された

私は公立高校だったが、バイト代だけでは、学費と生活費が足りないな…と考え、

高校を中退することに決めた


その後、住込みで働き始めたが、

前夫に「結婚しよう」と言われ、同棲を始めた

長女がお腹に出来た時、私と前夫は17歳だった

おめでたを告げられた産婦人科で「産んでくれ」と言われた時には

「私に初めて家族が出来たんだ」と幸せを感じた


それから子供が4人に増え、その後、前夫とは離婚してしまったが、

私と子供達との“家族の結束は、とても強い"と思っていた


私は普通の環境で育ってないし、嫌な事も沢山あったから、

メンタルが鍛えられたのか、少しの事では悩まなかった

「なるようにしかならない、でも必ずなんとかなる!!」

いつもこれで乗り越えられた

子供達との幸せな生活と相殺したら、

嫌だった思いや体験なんかは、忘れてしまうくらい些細な事だった


本当に私は幸せ者だと、心から思っていたのに、

次男が居なくなり、本当に私は不幸だと思った


何故、私は子供の頃から酷い目に合わされてるんだろう?

ただ平凡に暮らせるだけで幸せなのに…


でも次男が逝ってしまった事に比べれば、

両親の喧嘩や、父の自傷行為、母の男が私のベッドに来てた事、

再婚した養父の沢山の嫌がらせ、

それらは全部、全然大した事ではない


次男が逝ってしまった事は、

私が今まで生きていて、1番耐えられない出来事で、

これまでの打たれ強い私でも、流石に打ちのめされた


前世の私は、とてつもない大悪党だった?

現世の私は、罰を与えられているのかな?

そう考える様になった





次男と私のLINEのやりとり

洗濯しようとしたら白黒猫が、洗濯機に乗っていた

私が送った2枚の画像は、次男の携帯にちゃんと保存されていた


明日の夜になったら、この月をめくる

そうしたら、次男の買ってくれたこのカレンダーは、

最後の1枚になってしまう